日浦孝則氏 元class当時の年収は?家庭の事情で脱退!?ソフト開発?現在の活動は?
「夏の日の1993」で大ヒットをとばし、一躍有名となった、classのメンバーだった日浦孝則氏は、現在はソロで活動をしているそうです。メンバーの津久井克行氏は、2009年にガンで亡くなったそうです。 なぜ、classを脱退することになったのか?など、調べてみました。
日浦孝則氏のプロフィール
(ひうら たかのり)
1960年1月17日生まれ
広島県東広島市出身
立命間大学理工学部を卒業しているが、高校生の時から、バンドを組んでいたようです。多くのコンテストなどに出ながら、25歳で東京に移り、27歳でソロデビューをしていた。しかし、さほど目立つこともできず、大学電気工学を専攻していたこともあり、29歳の時に、一般企業で会社員となる。1993年の33歳の時に、あの「class」でデビューした。ミリオンヒットをたたき出すも、1996年に解散した。さらに、2003年に再結成したが、しかし、2008年にclassから抜けたが、メディアには、「家庭の事情で脱退」といわれた。真相は、後ほど書きますね。
2009年には、相方だった classの津久井克行氏がすい臓ガンで亡くなっている。
現在は、「Vanilla Sky Records」に所属し、ソロで活動をしている。
津久井克行氏が死去
2008年に、日浦孝則氏が辞めてからは、
classは、二人で活動していたが、2009年2月に余命を宣告され、9月にすい臓ガンで亡くなったそうです。そのため、classは解散となりました。
「家庭の事情で脱退」の真相は?
この「家庭の事情で脱退」というのは、日浦孝則氏自身が伝えたものではなかったそうです。
真相は、結婚している奥さんが病気にかかったため、闘病生活に入るので家庭を重視したということだった「妻の闘病のため」というのだけは言わないでと伝えたら、こうなったそうです・・・。(う~ん、難しいですね)
2007年に妻は卵巣がンが発覚したそうです。そのため、日常的な家事や子供の世話などが大変だったという。闘病生活を一緒に戦うために、歌をお休みしたようです。
ソフト開発で稼ぐ!?
1987年に、日浦孝則氏は、結婚していたそうです。お互い広島出身で、18歳の頃から交際をしていたが、一度、東京を見ておきたいと、日浦孝則氏は、彼女を故郷に置いて、東京に行ったという。
ちょうど結婚の頃に、ソロデビューするも、売れなかったため、1989年には、企業に就職をしました。そこはコンピューターのソフトを制作する会社だったのだ。1993年に「夏の日の1993」が160万枚を超えるミリオンとなった。しかし、それだけ売れて人気もでたのに、給料制だったため、年収でも300万円なかったという・・・。(厳しいですね。Classを辞めてからのほうがよかったかもしれないと思ってしまう・・・。)また、3年後の解散の時でも、1000万円はなかったそうです。
会社員の時の年収は、1000万円はあったそうですので、子供もいたため、生活費がたりず、会社員の時の貯金を切り崩していたそうです(つまり、デビューしたので、会社員を退職したのでしょうね。そりゃ、歌を本業にしたかったわけですし、退職しますよね)
そして、やはり生活が苦しかったので、なんと、会社員の時の経験をいかして、ソフトを開発していたのです。「建築家向けのオートCADセルフラーニングソフト」だそうで、これが、けっこう売れているようで、3人の子供を養い、ソロ活動をしながらで生活できるそうです。