やなせたかし氏 心不全 死去「アンパンマン」「手のひらを太陽に」歌詞
絵本作家 やなせたかし氏が10月13日午前3時に心不全のため死去した。
94歳だった。 葬儀は、すでに、近親者で済まされたという。後日「偲ぶ会」が行われる予定だそうです。
やなせたかし氏のプロフィール
本名 : 柳瀬 嵩 (やなせ たかし)
1919年2月6日生まれ-2013年10月13日死去(94歳)
実家は、伊勢平氏の末裔で300年続く旧家である
高知県香美郡在所村(現・香美市)出身
東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)生まれ
漫画家、絵本作家、歌手、演出家などいろんなところで活躍
有限会社 やなせスタジオの社長
高知新聞記者となり、のちの奥さんとなる小松暢さんに出会う。 1947年 嫁となる小松さんを追いかけ上京する
三越百貨店(現三越伊勢丹)のグラフィックデザイナーとして勤務し、 三越の包装紙にある「Mitsukoshi」の文字は当時、やなせさんが描いたものだった。 三越に在籍中に、漫画集団に所属し、副業で漫画家
1953年には、三越を退職した。 それは、漫画で得る収入のほうが3倍上だったため独立を決意 したのだ。 、フリーで漫画、テレビ番組の脚本、童話などを手掛けていた。1960年代以降には、手塚治氏と親交があった
1961年、作詞した「手のひらを太陽に」は大ヒット(知り合いだった、いずみたくが作曲)となり、1962年 NHK「みんなのうた」で放送され、1965年 『第16回NHK紅白歌合戦』で大反響となった。
「手のひらを太陽に」のCD
1973年 月刊絵本「キンダーブック」で絵本「あんぱんまん」が登場する。 今までになかった、詩にイラストを載せたものが評判となっていた雑誌「詩とメルヘン」編集長(サンリオ)だった。(2003年まで)
1975年 漫画「アンパンマン」が人気にとなり、1988年 日本テレビ系「それゆけ!アンパンマン」がアニメで放送開始となった。 挿入歌の作詞・作曲も手がけている。
「それいけ!アンパンマン」CD
1990年に、「アンパンマン」シリーズで日本漫画家協会大賞受賞し、1991年 春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章している。
1993年には、妻の暢さんが死去したが、 二人の間に子供はいなかったため、アンパンマンが二人の子供としていた
1996年 香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」設立、1998年 「詩とメルヘン絵本館」設立された
今年は記念の年だった
やなせたかし 画業 60年
絵本「あんぱんまん」 出版 40年
テレビ放映・映画「それゆけ!アンパンマン」 25年
2013年11月には、「やなせたかし大全」が刊行される予定だった
2000年 日本漫画家協会理事長 (2012年まで)に就任し、2010年 引退を考えたが、2011年 東日本大震災が起こり、活動を続けることとした。
2012年には、日本漫画家協会会長だった。 とっても大切なマンガかを亡くしてしまいましたね・・・。 2014年からの作品は白紙ともいわれており、今後、アンパンマンはどうなるのでしょうね。多くの子供やさらに大人にも勇気を与えてくれていたので、ぜひ、続くといいですよね